教えることは学ぶこと。
こんばんは、みゆさんです。
あっという間に7月がスタートしてしまいましたーー。早いよーーー(^_^;)
この半年を振り返ってみると、結構精力的に活動してきたような気がします。そして、いろいろ勉強してきたかな。
自分は勉強大好きなんだな、ってつくづく思います。と言っても、いわゆる義務教育の勉強ではなく、自分が興味を持った分野の知識を増やすことにとっても貪欲、という意味です。知識にも勉強にも、本当に終わりはないな、と思うのです。
そんなふうに、学ぶこと大好き!な私ですが、たまに占いのお客様から、「教えることはしないんですか?」と聞かれたりすることがあります。例えば、タロットとか西洋占星術とか・・・。
そのたびに、「いやぁ、ぜんぜん考えてないですね~」とお答えしていました。教えるなんて恐れ多い、自分はまだまだですよ、とずっと思ってきました。
でも、それって、勝手に自分で作ったハードルなんですよね。人さまに教えるようになるためには、もっともっと勉強してもっと知識が必要なはず!と、勝手に思い込んでいたところがありました。でも、「ここまで知識を持てたなら、教えても大丈夫!」なんて保証は、どこにもないんですよね。誰もそんな許可してくれるわけでもないし。
大事なのは、自分が自分に出す許可。そして、自分の中にしっかり落とし込まれたものを、自分の言葉で説明する力、なのかなと思います。
先日、友人から「タロットカードを使えるようになりたいから教えてほしい!」というオファーがありました。きっと今までの私なら尻込みしていたのですが、ふと、教えてみてもいいんじゃないか、そろそろ。と思いました。
その友人の熱意に応えたい、というのもあったのですが、チャレンジもしないで、自分の可能性を閉じることないよな、と。ということでOKしたのですが・・・。
教えることって学ぶことなんですよね。レジュメを作るために、復習しながら自分の知識を再確認しました。この作業が楽しくて、結構時間を使ったような気がします。普段はあまり意識しなくなってしまっている基礎的な部分を確認しては、なるほど!と、改めて理解を深めたり・・・。自分が習ったときにまとめていたノートを読んで懐かしく感じたり・・・。
脱線しつつも、改めて初心に返ってタロットと向き合うことができました。そしてやっぱりタロットって楽しい!と。もっともっと学びたいという気持ちがわき起こってきました。
おかげさまでタロットの授業は無事に楽しく終わることが出来ました。まだこの後も授業は続くのですが、とりあえず半分は終了です。こんな時間が持てたのも、教えるというチャンスを友人がくれたからなんですよね。友人には本当に感謝です。
教えること、これからは自分のメニューに加えていこうかな、と思っています。誰かからの口伝ではなく、自分だけの言葉で伝えられることを増やしていければいいなぁ~(^^)
愛につながるバイタルダンス。
こんばんは、みゆさんです。
今日は夏至ですね。北半球では、一年で一番太陽の光が降り注ぐ日ですね。みなさまにもたくさんの光が注がれますように・・・。
先日、初めて『バイタルダンス』のクラスに参加してきました!
『バイタルダンス』みなさまはご存知でしょうか??
詳細はこちら ↓ のページをご覧くださいませ。
私は生まれてから今まで、ダンスをちゃんとやったことなんてありません。しかも超インドア派だし、運動をするということに対して、なかなか腰が上がりません。
でも、このバイタルダンスは、どうしてもやってみたい!!と、自分の内側から湧き上がってくるものがありました。
特別なダンススキルなんて必要なく、ただ自分が感じることを、体が動くままに自由に表現する。そんな、完全フリースタイルなダンスなのです。これなら私にも出来るかも!!と(笑)
ダンススタジオに、8人のメンバーが集まりました。私は友人と一緒に参加したのですが、その他の人とはもちろん初対面です。男性が2人いました。
まず最初はウォーミングアップとして、音楽に合わせて好きに踊ります。音楽が鳴り出すと、私の体がものすごく反応しているのが分かりました。
音楽に合わせて体を動かしていると、私の中からたーーーくさんの喜びのエネルギーがあふれだしてきました。
「ああ、私、踊りたかったんだ!!!!」
思いっきり全身を使って、自分を表現したかったのです。言葉を使ったり何かを描いたり創作したりする表現ではなく、自分の体を使って表現したかったのです。そしてそれは、私の喜びに直結していることに気づきました。
最初からそんな感じで、もう楽しくて楽しくてしょうがありませんでした。
メンバー同士でペアになってハグしたり、一緒に手をつないで踊ったり。最初はちょっとした“照れ”みたいなものを感じましたが、いつの間にかそれは吹き飛びました。
途中、ペアになって、お互いの目を見つめながら、一人はただ自分の愛を表現しながら相手に近づき、もう一人は愛を感じながら相手が近づいてくるのを受け入れる、みたいなダンスをしたのですが・・・。もうこれは感動以外の何ものでもありませんでした。ただただ、たくさんの愛のエネルギーを感じて、感動して自然に涙があふれました。私たちのハートにはたくさんの愛があり、私たちはいつも愛に包まれています。それを肉体で感じることができました。
自分の中にある愛を体で表現すること。それは最高の喜びの体験でした。愛は喜びであり、涙でした。ホントに、ただそれだけでした。
クラスが終わった後は、ハートが全開になっているのが感じられました。愛にハートを開くこと。自然にそれが出来てしまったバイタルダンス。本当に素晴らしかったです。
そして、いつでもこのような至福の感覚を味わっていたいな、と強く思いました。ただ、愛につながり続けること。私が求めているのは、ただそれだけだということも分かりました。
トート神からのメッセージ。
こんにちは、みゆさんです。
またまた少し時間があいてしまいました・・・。
なんだか前回書いたインナーチャイルドのネタで、ちょっと力が尽きたといいますか・・・(^^ゞ かなり気合を入れて書いていたのでね。書き上げた満足感にしばらく浸っておりました。。
まぁ、それはブログをサボっていた言い訳です!これからも書いていきます!
私は気が向いた時にオラクルカードをひくのですが、今日ひいたカードが、トート神で「Write」というカードでした。
「体裁を気にせずに、まずは書きなさい!」みたいなメッセージで、ちょっと耳が痛かったです。でも、タイムリーに出るもんだなぁと、それにも感心しました。
で、今日はチャネリングメッセージをいただこうと思い、トート神にコンタクトしてみました。
トート神は、古代エジプトの知恵を司る神様です。頭がトキですね。
書くという行為は、気持ちを整理するのにとても役立ちます。
あなたの胸の内にある想いや言葉を、ただ紙に書き出してみてください。綺麗に書こうとか、文法を気にしたりする必要はありません。
胸の内で反芻している想い、実際に目から文字として入ってくることで、論理的な思考が生まれます。
それまでは、感情に振り回されて、ひらすたその感情にとらわれ続けていたかもしれません。ですが、ひとたび文字として認識することで、その感情を鎮めるにはどうしたら良いかという具体策を練ることが出来るのです。
平安を取り戻すための具体的なアクションを起こせるようになるのです。
文字には不思議な力があります。
感情を揺さぶるような感動を与えることもできるし、逆に、感情を抑えて冷静さを取り戻させる役割を果たすこともできるのです。
愛を通して書かれた言葉・文字には、人の心を動かすパワーがあります。
反対に、感情のままに書き綴った言葉・文字は、人の心を傷つける武器になりうるということを忘れないで下さい。
インナーチャイルドの涙。
こんにちは、みゆさんです。
インナーチャイルドの癒しの効果について書こうと思っているのですが、かなり前置きが長くなってしまいました。
こちらの記事は、前回の記事の続きになります。
幼いときからたくさんの傷を負ってきて、その傷が今の自分にかなりの影響を及ぼしていることは、痛いほど分かっていました。特に、「どんなときも自由に自分を表現する」ということを強烈にブロックする原因となっていることはよく分かっていました。
たくさんのワークの中で、子供の頃の傷が残っていますよ、と言われるたびに、胸がぎゅーっと締めつけられるような感覚がありました。きっとそれは、インナーチャイルドが私に送ってくれたサインだったのですが、しっかりと向き合う勇気が持てませんでした。
なぜなら、インナーチャイルドに向き合うということは、自分の心の痛みに向き合うということだからです。痛みに向き合うということは、そのときの痛みを思い出し、そのときの感覚を再体験するということにほかなりません。
あまりにもつらくて悲しくて封印した場面をまた思い出し、そのときの痛みを再体験するなんて・・・。勇気が持てずに、なんとなくいつも「また今度でいいかな」などと思って先延ばしにしてきました。
半年ほど前に、スクールでもインナーチャイルドのワークをやったのですが、今思うと、その時はまだインナーチャイルドを完全に癒すための心の準備ができていなかったような気がします。それに、いろんなワークの一環だったので、結構さらっと終わってしまいました(^^ゞ ガッツリ取り組む、という感じではなかったのです。
先日、ヒーラーのお友達とリーディングの練習をしていたとき、またしても「自己表現」に関する問題を指摘されました。これまで、少しずつではあるけれど、自分を表現することへの怖さや遠慮みたいなものを手放してきてはいました。でも、完全にもう大丈夫!と言える状態ではぜんぜんなかったのです。
リーディングでその問題を指摘される度に、「ああまたか」という気持ちになりました。そして、自分でも思っている以上に根深いのだということを突きつけられている気がして、いつも軽い絶望感を覚えました。結局、私はこの問題からは逃れられないのではないか、と。表現に対する恐怖心を完全に払拭することなど出来ないのではないのか、と。
そのとき、ヒーラーのお友達が、「インナーチャイルドにしっかり寄り添って、癒してあげてください。インナーチャイルドに話しかけるときは、心の中でするのではなくて、実際に声に出してみてください。」と、私のガイドからのメッセージを伝えてくれました。
それを聞いて、私は覚悟を決めて、きちんとインナーチャイルドに向きあおうと心から思いました。もうこれ以上無視できないぐらいに、自分の中でインナーチャイルドがもがいているのが分かったからです。
インナーチャイルドを癒すやり方は、いたってシンプルです。リラックスできる状態になり、軽く目を閉じて、傷を負っているインナーチャイルドに会いにいく、と意図をします。イメージの中で、つらかった場面や傷ついた場面が出てくるかもしれません。そして、そこにいるインナーチャイルドと話をするのです。
どんなふうに感じたのか、どうしてほしいのか、話を聞いてあげるのでも良いし、もし傷が深すぎてなかなか話してくれないような時には、こちらから一方的にかけてあげたい言葉をかけてあげれば良いと思います。
傷ついた幼い頃の自分の気持ちになって、どんな言葉をかけてもらいたかったのか、想像すれば良いでしょう。
私は、友人に言われたとおりに、実際に声に出してインナーチャイルドに話しかけました。
「つらかったよね。悲しかったよね。」と。
その短い言葉が終わらないうちから、私の中から涙があふれてしばらく止まりませんでした。それこそ、これまでそんな泣き方をしたことがないぐらいに、激しく慟哭しました。今までずっと押し込めてきた私の感情が、一気にあふれ出したのです。
私は泣きながら、一生懸命話しかけました。
「今まであなたのことを無視してきてごめんね。」と。
そして、ひたすら声をあげて泣き続けました。
私の中のインナーチャイルドは、やっと見つけてもらえたことに安堵したようで、それから甘えるようにしばらく泣き続けました。氷のように固まってしまっていた感情が、ようやく解けだしたかのようでした。
少し落ち着いてから、私は子供の頃の自分がかけてもらいたかった言葉をひたすらかけ続けました。
「あなたは一人じゃないんだよ。私がいつも一緒にいるからね。安心しても大丈夫だよ。誰もあなたのことを傷つけたりしないからね。誰もあなたを否定したりしないからね。私があなたを守るから大丈夫だよ。あなたのことが大好きだよ。あなたのことを愛してるよ。」と。
そんな言葉をくり返し言い続けました。どの言葉も私の中で大きく響き、その度に氷が熱い涙とともに解けていきました。
それからは、気づいた時にインナーチャイルドに話しかけ続けました。ちゃんと声に出して。ひとりごと言ってるみたいで、傍から見たら不気味かもしれませんが(^_^;)
でも、この“声に出す”ということの効果が素晴らしかったのです。
それまで、なんとなくインナーチャイルドと会話してきたときは、全部心の中で行っていました。だからなのか、そんなに激しく心を揺さぶられることもなかったし、癒された~!という感じもあまりなかったのです。正直なところ。
でも、実際に声に出すと、その音がめちゃめちゃハートに響いたのです。全部自分の中での出来事なのですが、まるでもう1人の自分が別にいて、その人とちゃんと会話をして、共感し合い、励まし合っているような気持ちになりました。
今の自分にとっても、インナーチャイルドにとっても、ずっしりとした実感がもたらされました。
そして、胃のあたりにある第3チャクラの感じが、今までとはちょっと変わっていることに気づきました。それまでは、なんとなくキュッとつままれるような感覚が常にあったのですが、インナーチャイルドとたくさん会話してからは、胃の重さを感じるようになったというか、ずっしりとしたもので満たされているような、そんな感覚になりました。
インナーチャイルドがいる場所は、たいていの場合、第3チャクラなのです。だから、傷ついたインナーチャイルドを抱えている人は、第3チャクラが健全でないことが多いのです。
私にとっては、大きな嬉しい変化となりました。
インナーチャイルドを癒し、実際に第3チャクラの調子が良くなると、なんとなく自分が自分であって良いのだ、という大前提のようなものを信じられるようになってきました。
結局、私自身が
「私はまわりから受け入れられない。何か表現したとしても必ず否定されて無視される。傷つかないためにも、私は自分を表現しない。」という信念をずっと持ち続けてきていたのです。自分で自分に「自由に自己表現する」ことを禁止してきていたのです。
そうせざるを得ないと思ってしまったインナーチャイルドの傷を癒して、私はやっと自分に許可を与えることができました。
心の傷が、そう簡単に完全に癒えるということはないと思います。だから、私はこれからもインナーチャイルドとたくさんの話をしながら、励まし合っていこうと思います。
「あなたが笑顔だと私はとっても嬉しい。だから、たくさん笑顔を見せてね。」
インナーチャイルドを癒して。
こんばんは、みゆさんです。
今日は前回の続きになります。
ヒーリングやスピリチュアルの勉強をしていると、必ずといっていいほど出てくる言葉です。“インナーチャイルドを癒す”ということは、私たちが、より自分を癒して解放させてゆく過程において、いつかは通らなくてはならない道なのでしょう。
そのぐらい、私たちは成長過程においてインナーチャイルド(内なる子供)を自分の中に封じ込めて、ありのままの自分とはかけ離れた仮面をかぶって生きているのです。おそらくほとんどの人が、インナーチャイルドに何らかの傷を持っていると思います。
先日も書きましたが、傷の大小は測れるものではないし、大きさは関係ありません。そして、「誰かのせいで自分はこんなにも傷ついた」というような被害者意識を持ち、誰かを責めることを目的としたものでも、もちろんありません。
心が傷つき、その傷が人生を生きづらくしてしまったという事実、それだけが重要なのです。
私もご多分にもれず、インナーチャイルドが傷つきまくって生きてきました。親子の関係において、家族の関係において、それはそれはたくさんの傷を心に負いました。何気ない母親の一言、姉妹の態度、家族との関係性などなど。しつけがかなり厳しかったことも、私の心の傷を大きくさせました。
自分で言うのもですが、私はかなり繊細な感受性を持っていまして。。まわりの人の言葉に、少しでも攻撃的なところや否定的なものがあったりすると、そのネガティブなエネルギーを一身に受けてしまっていました。それが私に直接向けられた言葉であっても、私以外に向けられたものであっても。
なんでそんな言い方をするの?なんで?なんで?と・・・。
そして、ハートが痛むので涙を流すのですが、頭でも心でもまったく理解ができませんでした。なぜ、そのように相手の気持ちを考えないで言葉を発することができるのか。こんなにも傷つく言葉を、なぜ平気で言うことができるのか。。
感情的に放たれた言葉を、論理的に理解しようと苦しみました。
もしかしたら私のせいで相手は暴言を吐くのだろうか。私が悪いのだろうか・・・。そんなことを考えるようになりました。
そのうち、そのような言葉を聞きたくなくて、まわりの顔色を伺うようになりました。親の機嫌が少しでも悪くならないように、余計なことは言わないようにしていました。お願いしたいことがあったとしても、必ず否定的な一言が返ってきたので、それが怖くてなかなか言い出せませんでした。本当にどうしても必要なときにだけ。あとは自分が多少困ったとしても、それで我慢していました。
のびのびと振る舞うとか、思い切り喜怒哀楽を表現するとか。本来なら、何をやっても許されるであろう小さな子供のときから、それをまったくしないで成長してきてしまいました。
同時に、感情を感じすぎないように意識するようになりました。特に、ハートがえぐられるような悲しみやツラさを喚起するような言葉は、聞かなかったふりをして、何も感じていないと自分に言い聞かせてやり過ごすようになりました。それを真正面から受け止めてしまうと、ハートが粉々になってしまうのが怖かったからです。
そしていつしか、ありのままの自分をどう表現して良いのかわからなくなりました。常にまわりの空気を読むことに、全神経を集中させるようになりました。無意識のうちにいつも緊張状態で、体はガチガチでした。
一緒にいて心からリラックスできる友人も何人かはいたのですが、少しでも相手の中に攻撃的な面や思いやりのなさが見えると、再び傷つき、自分が悪いのだろうかと考え、それ以上傷つかないように身構えて疲弊していたような気がします。
どんな相手の前でも、自分の自然な感情を表現するのが怖かったし、もし表現したとしても、それを受け止めてもらえるとは到底思えなかったのです。
結局、そんな風に生きてきたので、私の中にはホンモノの自尊心というものがまったく育っていませんでした。恐ろしいことに、それに気づいたのはヒーリングの勉強を始めた、つい2年ほど前のことです。
それまではむしろ、自分はプライドの塊だと思い込んでいました。いつもしっかりとしていて、何があっても動じずに、冷静にそつなく物事に対処する。責任感が人一倍強くて、自分を犠牲にしてでも責任を果たす、という生き方。それが自分のプライドだと思っていました。
でもそれは、まわりに対する恐れから、そのような仮面をかぶっていただけだったのです。失敗を極端に恐れていました。何かあったら否定的な言葉を投げられるのではないか、すべて私が悪いと責められるのではないか、誰からも受け入れてもらえないのではないか。そんな思いがベースになって、いつも緊張感でピンと張りつめている、そんな感じでした。そして、たとえイヤなことがあってもイヤだと言えずに、自分が我慢して犠牲になることを選び続けました。自己主張の仕方が分からなかったし、もし主張したところで、それを受け入れてもらえるはずがない、と思い込んでいたのです。
2年ほど前、あるヒーラーさんに、
「第3チャクラに風穴があいてますよ」と言われました。
私の体の中にあるチャクラの状態を見ているときに言われた言葉です。
第3チャクラはみぞおちのあたり、胃のあたりに位置するのですが、自信や自尊心を意味するチャクラです。このチャクラに大きな穴があいていると言われたのです(^_^;)
無意識のうちに自分を取り繕って自信があるように見せてきた私にとって、それは本当に衝撃的な一言でした。
最初、「自分に自信がない」ということを認めることがイヤでたまりませんでした。それこそ、そんなことを認めるのは私のプライドが許さない、という感じでした。それを認めてしまうと、今まで自分が頑張って作り上げてきた(ハリボテの)プライドが、すべて壊れてしまうような気がして怖かったのです。
その衝撃的な日から2年かけて、ゆっくりと自分を見つめなおしてきました。ヒーリングの学校でワークをたくさんしてきました。その中で繰り返し言われたことは、
もっと自分をいたわり、大切にしてあげてください。
というものでした。
自分の存在自体を大したものではないと思いこみ、いかに本当の自分を無視し続けてきたのかということに、ようやく気づきました。
私は自分をぜんぜん大切にしてこなかったのです。まわりを最優先にして、まわりを主体にして生きてきたのです。
そこに気づくことが大きな一歩になりました。
それから私は、自分の気持ちを常に確認することを意識して行いました。
今何を食べたいの? 今何をしたいの? これをするのはどう思う? これは好き?
など、日常生活のいたる場面で自分のハートと会話することを心がけました。そうやって、自分とのつながりを取り戻し、そのときの自分の感情に素直に従うことで、自分を尊重するという癖をつけるようにしてきました。
本来なら、それは当たりまえのことなのです。自分のハートに従って生きる。それが、ありのままの自分を生きるということなのです。
たくさんの気づきや解放が起こりました。これまでつけてしまった仮面を1つ1つ外し、縛られてきたたくさんの価値観や思い込みから自由になるたびに、自分のハートとのつながりが深くなってゆきます。その過程には、苦しいこともあるけれど、本気で取り組めば、とても大きなご褒美が待っている素晴らしい旅路です。
そして、インナーチャイルド。満を持してのインナーチャイルドです。
ここまでまた長くなってしまったので、続きは次回に!