猿田彦神社と清洲城。
こんにちは、みゆさんです。
気になっていた猿田彦神社にお参りに行きました。
猿田彦神(猿田毘古神)は、天から下った邇邇芸命(ニニギノミコト)一行を
迷わないように高千穂まで導くという道案内をしました。
その後、天宇受売命(アメノウズメノミコト)と共に、
伊勢の地から全国へと開拓を進めた神様だと言われています。
そのことから、道案内の神様、道を開いてくれる神様として
信仰されてきたそう。
万事を最も良い方向へと「おみちびき」になる神様です。
何か新しいことを始めようと思っている人は
猿田彦神社をお参りすると、なにか「おみちびき」をいただけるかもしれませんね(^^)
神社の中には、こんな石柱がありました。
「みちひらき」ということで、方位除けや交通安全などにも
ご利益があるようです。
こーゆー盤を見ると、常に方位盤を見ている私としては
慣れ親しんだものに出合えたようで、ちょっと嬉しくなります。
家に帰ってからネットで調べたところ、
自分の生まれ年の干支を触ると良いとか、
ほしい運気の三合干支を触ると良いとか
いろいろ言われているようです。
きっとそんな意味付けをしているんだろうなぁと思いつつも、
私はなんとなく触ってきませんでしたが・・・(^^ゞ
この方位盤の八方位にちなんで、
鳥居の支柱も八角形でしたよ!
帰りがけまたは、外宮から内宮への移動途中で立ち寄ってみるのがオススメです。
その日は名古屋まで戻り、1泊しました。
そして翌日はクリスマスイブ。
名古屋まで来たら、お城を見なくちゃ!ということで、
イブにお城訪問するってどーなの、と思いながらも
戦国時代好きに清洲城ははずせないでしょう、と。
信長が天下統一への第一歩を踏み出したときのお城なのです。
あと、有名なのは清洲会議。
信長が本能寺の変に倒れたあと、
後継者を決めるための会議が行われた場所でもあります。
ですが、関ヶ原の戦い後、
頑強とはいえなかった清洲城は廃城となってしまいます。
しかも、本来存在していた場所からはちょっと外れています。
清洲城からちょっと離れたところに「清洲古城趾」の石碑がたっていました。
東海道線の線路のすぐそば。
だから、本来の場所には復元できなかったのでしょう。
清洲城、なかなか立派でカッコ良かったです。
模造品だけど・・・
コンクリート造りだけど・・・
ぜんぜんホンモノ感はないけど・・・
でも、さすが平成になって建築されただけあって
見せ方がうまいような気がします。
一種のエンタメパーク的な雰囲気満載です(笑)
お城の中は、ちょっとした資料館のような感じで、
合戦の再現VTRとか、火縄銃の撃ち方体験とか
スポーツ新聞風の立て看板だとか
いろんな展示物がありました。
戦国時代好きのお子さんとかいたら
連れて行ってあげると喜ぶかも。
人もあんまりいないし、観光の穴場スポット。
全体的にキレイで楽しめる作りになっていると思います。
天守閣からの眺めもなかなかでした。